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		<title>ツーショットフルーツ</title>
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		<description>思ったことやニュースなど・・</description>
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			<title>ツーショットフルーツ</title>
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			<description>思ったことやニュースなど・・</description>
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			<title>お気に入りのツーショット</title>
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				<![CDATA[
毎日の様にツーショットをしてると
お気に入りのパフォーマーってのが絶対に見つかりますね。

ツーショットだけではなくて、そういうパフォーマーって
やっぱり会話も上手なんですよ。

で、こっちが求めてることをやってくれる。というよりは
自然にそれが出来てる感じなんです。

やっぱりそれが相性ってものだと思います。

こっちもあまり気を使わないですむし
そういう女の子が見つかると本当にエロチャットは楽しいですよ。

ツーショットでは相性のあう女性がすぐに見つかると思いますので

みんなも頑張ってみてください。


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			<title>次世代燃焼システムに 「カイロ」の原理</title>
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				<![CDATA[
東京ガスは新しい発熱方法を用いた次世代燃焼システム「ケミカルループ燃焼」の開発に着手する。使い捨てカイロの原理と同じように、金属が酸化する際に生じる酸化熱を使って加熱。酸化した金属は天然ガスを還元剤にして元に戻し、再び酸化させることを繰り返す。窒素酸化物(NOX)がほとんど生じず、排気から二酸化炭素(CO2)を分離するのが容易になる。2015年をめどに実証試験を始め、20年の実用化を目指す。


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			<dc:date>2010-10-25T16:55:11+09:00</dc:date>
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			<title>女の子が気づいていないハプニングは指摘すべき</title>
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本人は気づいていないものの、鼻毛が出ていたり、スカートが大胆にめくれていたり…。時々見かける、女性のちょっと恥ずかしい姿。彼女や親しい友人ならまだしも、知人や同僚、ましてや見ず知らずの女性だったら、指摘すべきかどうか悩みませんか？

周りの人が気づく前に指摘してあげたいけど、恥をかかせてしまうかもしれない。スルーした方がいいのか、それとも…と、男が考えても結論は出ないので、20〜30代の女性50人を対象にアンケートをとってみた。

彼氏以外の男は、女性の恥ずかしいミスを指摘すべき？　と質問してみると、実に50人中41人、82%の女性が「指摘すべき」と回答。

その理由は、「帰宅後に気づいたときのやるせなさは異常」「その場だけの恥ずかしさで済むから」など、気づくのは早い方がいい、という内容がほとんどだった。

逆に「指摘すべきでない」と回答した女性によれば、「恥ずかしくて卒倒する！」「その人とは絶対に付き合えなくなる」とのこと。とはいえ、これらの意見はあくまで少数派だから、ほとんどの場合は指摘した方がいいってことでしょ？ と思ったアナタ、早とちりは危険です。注意すべきは、「指摘すべき」と答えた41人も決して無条件で指摘されたいと思っているわけではないこと。


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			<dc:date>2010-10-09T19:40:07+09:00</dc:date>
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			<title>主婦連「子どもがジュースと間違えてアルコール飲料のんじゃった。デザイン変えなさいよ。」</title>
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低アルコール飲料　誤飲恐れ　紛らわしいデザインが最大の原因
酎ハイやカクテルなどの低アルコール飲料の容器のデザインが清涼飲料と区別が付きにくいことから誤飲の恐れがあるとして、主婦連合会（主婦連、東京都千代田区）と日本アルコール問題連絡協議会（中央区）が表示の改善を求めている。

きっかけは、子供が清涼飲料と間違って低アルコール飲料を飲んだという訴え。過去にも
同様の事例があったといい、家庭でも置き場所などに注意が必要だ。

冷蔵庫に入れたら…
２団体が消費者庁や国税庁に要望書を出したのは７月９日。６月末、母親から一通の手紙が寄せられた。低アルコール飲料を購入して冷蔵庫に入れておいたところ、５歳の子供が清涼飲料と間違って飲み、酔っぱらってしまったという。母親は自身の不注意を認めながらも、
「清涼飲料と間違えるようなデザインはやめていただきたい」と訴えていたという。

誤って飲んだとされたのは、サッポロビール（東京都渋谷区）の「ネクターサワー
スパークリングピーチ」。不二家（文京区）の清涼飲料「ネクター」とのコラボレーション
商品で、５月に発売された。


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			<dc:date>2010-09-03T15:22:22+09:00</dc:date>
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			<title>手塚治虫に“悪い見本”と酷評され…</title>
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				<![CDATA[
「ゴルゴ１３」の連載を４０年以上にわたって続けている劇画界の巨匠。少年漫画全盛期に大人のための「劇画」を模索し、漫画製作にいちはやく分業化システムを取り入れた先駆者さいとう・たかをが、その半生と人生観を存分に語っている。
　昭和１１年生まれ。中学卒業後、理容学校で学び、家業の理髪店を継いだ。子供のころから絵が好きだったが、気丈で厳格な母は、息子が絵を描くことをひどく嫌った。父親が写真家や画家を目指してものにならなかった髪結いの亭主だったせいかもしれない。
　理容師をしながら貸本屋から借りた漫画を読みふけっていたが、飽き足りず、母に隠れ、寝る間を惜しんで漫画を描き始める。登竜門だった「漫画少年」に投稿したが、大人っぽいリアルな絵は手塚治虫に悪い見本として酷評された。それでもくじけることなく描き続け、昭和３０年、「空気男爵」で漫画界にデビュー。母にそむいて理髪師の道を捨て、漫画で生きるために上京、国分寺に居を構え、大阪から仲間を呼び寄せて劇画工房を結成する。大人向けコミック時代の到来を見据えた分業による劇画は、全盛だった手塚漫画とはまったく異質のものだった。
　ゴルゴ１３にしろ、賞金稼ぎを生業とする無用ノ介にしろ、さいとう劇画の主人公は単なるダーティーヒーローではない。さいとうの言葉によれば、「自分の弱さにおののき、もがきながら自分自身と折り合いをつけて生きている」。彼らの生き方は、自ら進んで苦境に立ち向かい、それを乗り越えて劇画道を歩み続ける作者の姿に重なる。


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			<dc:date>2010-07-30T15:54:13+09:00</dc:date>
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			<title>初めてプレイしたゲームは？</title>
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				<![CDATA[
1 名前： ハナミノカサゴ(西日本)：2010/06/24(木) 17:42:06.32 ID:pOKvW2rx ?PLT
『スーパーマリオブラザーズ』が圧勝!!　20代男性が初めてプレイしたゲーム
「ファミリーコンピュータ」が発売されたのは1983年。それをきっかけに各家庭にゲーム機が普及し、今ではゲームは、家族揃って遊べる娯楽となっています。さまざまなハイクオリティのゲームが発売されていますが、初めてプレイしたときの感動は、そう簡単に忘れられないはず。20代男性が初めてプレイしたのは、一体どんなゲームだったのでしょうか。

Q. 初めてプレイしたゲームは何ですか？ (単一回答)
1位　『スーパーマリオブラザーズ』　37.7%
2位　『スーパーマリオブラザーズ3』　9.0%
3位　『テトリス』　7.8%
4位　『スーパーマリオワールド』　5.7%
5位　『スーパーマリオカート』　3.7%


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			<dc:date>2010-06-28T13:10:53+09:00</dc:date>
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			<title>苗字帯刀</title>
			<link>http://ourr55.fruitblog.net/?4c00e683e599a</link>
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				<![CDATA[
苗字帯刀（みょうじたいとう）は、江戸時代の武士の身分表象。
家名の中でも特に領知の名前に由来し領主階級であることを示す苗字を公称（私称と異なり、公称の場合は、姓、本姓を持つ）し、打刀と脇差の2本の刀を腰に帯びること。これによって領主階級であり、また武芸の家の者であることを示した。
なお、武士以外にも刀の所持そのものが禁止されたわけではなく、さらに装束としては脇差1本のみを腰に帯びることは武士でなくとも認められており、武士以外の苗字帯刀禁止によって百姓や町人などが完全に武装解除されたわけではない。また、百姓､町人などは表向きは苗字を持たないことになっていたが、実際には江戸時代以前から伝えられた名字を私称していたケースも多々見受けられ、宗門人別帳などの公文書への記載が許されなかったというのが実態に近く、私的な文書の色彩が強い墓碑銘や過去帳に遺されているケースもある。また、苗字帯刀を許されていない庶民が藩に苗字を巡る訴訟を起こして藩が裁決を下している例もある。
また、大名・旗本などは、しばしば家柄や功労により領内の有力百姓や町人などにこれを許して、武士に準ずる者として扱った。ただし、江戸幕府が認めた例とは違い、当該領内のみ有効とされていた。従って、佐原の名主であった伊能忠敬は領内においては代々「伊能」姓を許されていたが、領外でこれを名乗ることが出来ず、57歳の時に蝦夷地測量の功績によって江戸幕府から改めて苗字帯刀の許可を得て佐原以外でも「伊能」姓を名乗ることが許されている。また、苗字と帯刀の特権は一体ではなく、苗字は認められても帯刀は認められない例や苗字は子孫への伝承を許すが帯刀は授与された当人一代に限った例もある。
実際、村役人層などは百姓身分ながらも苗字帯刀を許される場合があり、なかには郷士として遇される者もいた。


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			<dc:creator>ourr55</dc:creator>
			<dc:date>2010-05-29T19:03:59+09:00</dc:date>
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			<title>芥川龍之介</title>
			<link>http://ourr55.fruitblog.net/?4bd53fc9485a6</link>
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				<![CDATA[
芥川 龍之介（あくたがわ りゅうのすけ、1892年（明治25年）3月1日 - 1927年（昭和2年）7月24日）は、日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼を用いた。
その作品の多くは短編で、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」など、童話も書いた。

東京市京橋区入船町8丁目（現中央区明石町）に牛乳屋を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。姉が2人おり、長姉は3姉弟の中で頭が賢かったと言われているが、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。
生後7ヵ月後頃に母が発狂した（発狂は長女の急死が原因であったとの推測されることがある）ため、東京市本所区小泉町にある母の実家 芥川家に預けられ伯母フキに養育される。11歳の時に母が亡くなり、翌年叔父の芥川道章（フクの実兄）の養子となり芥川姓を名乗ることになった。旧家の士族芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕え雑用、茶の湯を担当したお数寄屋坊主の家である。家中が芸術・演芸を愛好し江戸の文人的趣味が残っていた。
なお、龍之介の名前は、彼が辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来すると言われているが、誕生日の1892年（明治25年）3月1日は干支暦では壬辰年壬寅月壬辰日に当たる。出生時刻については資料がないため不明。戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になっている。彼自身は「龍之助」表記を嫌った。
1898年（明治31年）、江東尋常小学校入学。府立第三中学校を卒業の際「多年成績優等者」の賞状を受け、第一高等学校第一部乙類に入学。1910年（明治43年）に中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、龍之介はその選に入る。同期入学に久米正雄、松岡讓、佐野文夫、菊池寛、井川恭（後の恒藤恭）、土屋文明らがいた。二年生になり一高の全寮主義のため寄宿寮に入るが、龍之介は順応することはなかったらしい。寮で同室となった井川は生涯の親友となる。1913年（大正2年）、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。

東京帝大在学中の1914年（大正3年）2月に一高同期の菊池寛・久米正雄らと共に同人誌『新思潮』（第3次）を刊行。まず「柳川隆之助」（隆之介と書かれている当時の書籍も存在する）の筆名でアナトール・フランスの「バルタザアル」、イエーツの「春の心臓」の和訳を寄稿した後、10月に『新思潮』が廃刊に至るまでに同誌上に処女小説「老年」を発表。作家活動の始まりとなった。1915年（大正4年）10月、代表作の1つとなる「羅生門」を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表、級友鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入る。1916年（大正5年）には第4次『新思潮』（メンバーは第3次とほぼ同じ）を発刊したが、その創刊号に掲載した「鼻」が漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。同年12月より海軍機関学校の嘱託教官（担当は英語）として教鞭を執る[1]かたわら創作に励み、翌年5月には初の短編集『羅生門』を刊行する。その後も短編作品を次々に発表し、11月には早くも第二短編集『煙草と悪魔』を発刊している。
1918年（大正7年）3月、教職を辞して大阪毎日新聞社に入社（新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない）、創作に専念する。ちなみに師の漱石も1907年、同じように朝日新聞社に入社している。
1919年（大正8年）3月12日、友人の山本喜誉司の姉の娘である塚本文と結婚。1921年（大正10年）2月、大阪毎日海外視察員として中国を訪れ、北京を訪れた折には胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合いなどを行い、7月帰国。「上海遊記」以下の紀行文を著した。この旅行後から次第に心身衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを病む。1923年（大正12年）には湯河原町へ湯治に赴いている。作品数は減ってゆくが、この頃からいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の「歯車」「河童」などへと繋がっていく。
1920年（大正9年）3月30日、長男芥川比呂志、誕生。
1922年（大正11年）11月8日、次男芥川多加志、誕生。
1925年（大正14年）7月12日、三男芥川也寸志、誕生。
1925年頃から文化学院文学部講師に就任。1926年（大正15年）、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症が高じ再び湯河原で療養。一方、妻・文は自身の弟・塚本八洲、療養のため鵠沼の実家別荘に移住。2月22日、龍之介も鵠沼の旅館東屋に滞在して妻子を呼び寄せる。7月20日には東屋の貸別荘「イ-4号」を借り、妻・文、三男・也寸志と住む。夏休みに入り、比呂志、多加志も来る。7月下旬、親友の画家小穴隆一も隣接する「イ-2号」を借りて住む。この間、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』、さらに『點鬼簿』を脱稿、堀辰雄、宇野浩二、小沢碧童らの訪問を受ける。また、鵠沼の開業医、富士山（ふじ　たかし）に通院する。9月20日、龍之介、文、也寸志は「イ-4号」の西側にあった「柴さんの二階家」を年末まで借りて移る。ここで鵠沼を舞台にした小品『悠々荘』を脱稿。これは、震災前岸田劉生が住み、震災後建て直されて国木田虎雄（国木田独歩の息子で詩人）が借りていた貸別荘を視察したときの経験がヒントのようで、龍之介一家が鵠沼に永住する意図があったとも考えられる。また、この間、斎藤茂吉・土屋文明・恒藤恭・川端康成・菊池寛らの訪問を受けている。年号が昭和に替わってから、妻子は田端に戻り、龍之介は「イ-4号」に戻った。甥の葛巻義敏と鎌倉で年越しをしてから田端に戻るが、鵠沼の家は4月まで借りており、時折訪れている。
1927年（昭和2年）1月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「文芸的な、余りに文芸的な」で谷崎潤一郎と「物語の面白さ」を主張する谷崎に対して、「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で芥川は、「話らしい話の無い」純粋な小説の名手として志賀直哉を称揚した。
7月24日未明、「続西方の人」を書き上げた後、致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。服用した薬には異説があり、例えば、山崎光夫は、芥川の主治医だった下島勲の日記などから青酸カリによる服毒自殺説を主張している[2]。同日朝、文夫人が「お父さん、良かったですね」と彼に語りかけたという話もある。戒名は懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺。


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			<dc:date>2010-04-26T16:25:39+09:00</dc:date>
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			<title>嵐 (ジャニーズ)</title>
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				<![CDATA[
嵐（あらし）は、日本の男性アイドルグループ。所属する芸能事務所はジャニーズ事務所、レコードレーベルはジェイ・ストーム。

1999年、ジャニーズJr.内で人気の高かった人物から選出され結成された男性アイドル歌手グループ。同年9月15日にデビュー記者会見をハワイで行い、11月3日に「A・RA・SHI」でCDデビューを果たす。その時嵐のメンバーの最年長である大野智は18歳であった。
グループ結成、およびCDデビューは、当人たちには十分に知らされないまま進められたもので、結成会見までほとんど話したことのないメンバーがいるほど唐突の出来事であり、嵐というグループとしての持ち味、結束もCDデビューと並行して図らなければならなかった。結成時から各メンバーの知名度、人気は高かったが、結成後しばらくの間はジャニーズJr.活動の場を同じくすることが多く、その人気もJr.の延長であった。
2002年よりメンバーのソロ活動（『木更津キャッツアイ』（櫻井）、『ごくせん』（松本）など）が充実しはじめたことをきっかけに、ジャニーズJr.ではない、ひとつのアイドルグループ嵐としての人気が定着。
音楽活動、テレビドラマ、映画、舞台、バラエティ番組、報道などメンバー各人がそれぞれの個性を活かしながら活動を行なっている。

大野智（おおの さとし、1980年11月26日 - 、A型、東京都出身） ： 嵐のリーダー
櫻井翔（さくらい しょう、1982年1月25日 - 、A型、東京都出身）
相葉雅紀（あいば まさき、1982年12月24日 - 、AB型、千葉県出身）
二宮和也（にのみや かずなり、1983年6月17日 - 、A型、東京都出身）
松本潤（まつもと じゅん、1983年8月30日 - 、A型、東京都出身）


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			<dc:date>2010-04-09T17:08:47+09:00</dc:date>
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			<title>植民地</title>
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				<![CDATA[
植民地（しょくみんち）とは、国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のこと。古くは古代ギリシアや古代ローマなどにも見られるが、以下では15世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。殖民地とも表記する。

古代にも植民地はあるが、「植民地」の規模をそれまでにないほど大きくしたのは近代西欧諸国の産業資本主義の対外交易戦略によってである。初期にはポルトガル・スペイン両帝国が、19世紀から20世紀にかけては英国が、植民地交易によって世界覇権を握った。
一般に帝国主義的先進国が植民地を原料工場・商品市場として開発するとともに、住民を政治的に抑圧支配する。植民地を獲得する過程では、ほとんどのケースで在来住民との軍事的な衝突が起こり、その全殺戮にいたることもある。スペインによるアメリカ大陸の植民地化の過程ではしばしば現地住民の絶滅が発生し、フランスもカリブ海西インド諸島のマルティニーク島の原住民を1658年に殲滅し、純粋な島民は絶滅した[1]。南太平洋の島嶼部では労働者として現地住民を雇用しても成功しないというのが定説であった。白人と接触以降に現地人人口が激減することも多く（ハワイやフィジー、サモアなど）、他の領土から労働者を移住させざるをえない状況がしばしば発生した[2]。
現地住民との混血や本国国籍人の現地での浮浪化などは、しばしば民政や法的な問題を発生させた。アヘンや覚醒剤ビジネスは植民地経済に根付くことが多かった。
平和的プロセスによって植民地が獲得される場合もあるが、いずれにせよなんらかの形で獲得したあとは、その植民地を統治・経営（植民地経営）することになる。その過程を植民地化という。
1804年、フランス革命に触発されたハイチが非白人国家としては史上はじめて独立して以来、旧植民地諸国は現在にいたるまで数多く独立していった。ただし先進国が独立を認めた背景には、世界経済システムの変容があるといわれる[3]。こうした一連の過程を脱植民地化という。


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			<dc:creator>ourr55</dc:creator>
			<dc:date>2010-04-08T18:29:22+09:00</dc:date>
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			<title>公用語</title>
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				<![CDATA[
公用語（こうようご）とは、国、州、国際的集団など、ある集団・共同体内の公の場において用いられることが認められている言語。複数の言語が公用語に指定される場合も多く、この場合、国家（あるいは集団）は、どれか一つの言語だけを使用する国民（や構成員）に対して不利益を与えないように、必要な場面において複数の公用語を併記したり、互いに通訳したりする。
一民族が大多数を占める国家や一民族が圧倒的に強い力を持っている国家の場合、公用語を法律で定めていない場合もある。

公用語は、一つの共同体内で複数の言語が使用されている場合に、公的な分野において意志の疎通を円滑にする目的で、憲法や法律などの法規範によって指定されるのが一般的である。これに対し、方言こそあるものの、一つの言語の話者が圧倒的多数の国である場合、法律で定めるまでもなくその言語が公用語の役割をしている場合がある。日本における日本語がこれにあたる（ただし、裁判所法74条は「裁判所では、日本語を用いる。」と定めている）。もちろん圧倒的多数の同一言語話者がいた場合でも法的な定めを置く例もある。
一方、国内に複数の言語があるにもかかわらず、公用語を正式に指定することなく、政治的、社会的な上層階級の間で話されている言語が事実上、公用語になっている場合もある。アメリカ合衆国における英語がこれにあたる。しかし、州レベルでは、2004年現在、全50州中27州が法律で英語を公用語と定めている。この中には、英語だけを公用語とする州もあれば、英語と他の1つの言語を公用語とする州もある。なお、連邦最高裁は、英語だけを公用語としていたアリゾナ州の法律について、1998年4月に違憲判決を下している。
また、国だけでなく国際連合やEUなどでも公用語は指定されている。国連の公用語は英語(イギリス英語)、ロシア語、中国語、フランス語、アラビア語、スペイン語の6つである。これらは第二次世界大戦のいわゆる戦勝国アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国の言語に多くの国で話されているアラビア語とスペイン語を加えたものである。
公用語の指定に関しては様々な基準があるが、一般的にその集団内で使用する者の数が最も多い言語や高度な概念を表現しえる言語が選ばれる。しかし政治的に強い権力を持った民族の言語が多くの国民の意に反し公用語に指定されることもある。民族と言語は密接に結びつきしばしば深刻な問題を引き起こすため複数の言語を公用語に定めている国も多い。


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			<dc:subject>未分類</dc:subject>
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			<dc:date>2010-04-08T18:28:42+09:00</dc:date>
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			<title>飲みに。</title>
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				<![CDATA[
昨日は久しぶりに飲みに行った。
やっぱ楽しい!
最近仕事と家の往復で全然行ってなかったから
ほんと楽しかった。

一人酒も好きだけどやっぱり大勢で
わいわいガヤガヤ飲むのはいいもんですね。


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			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>ourr55</dc:creator>
			<dc:date>2010-04-06T19:06:14+09:00</dc:date>
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			<title>中井洽</title>
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				<![CDATA[
中井 洽（なかい ひろし、男性、1942年6月10日 - ）は、日本の政治家。衆議院議員（11期）、国家公安委員会委員長（第81代）、内閣府特命担当大臣（防災担当）。
民社党副委員長、法務大臣（第54代）、自由党副代表、民主党副代表などを歴任した。


<b>生い立ち</b>
満州国新京市（現中国吉林省長春市）に生まれる。東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。
日本社会党の衆議院議員だった父の中井徳次郎の秘書を務める。徳次郎が日本社会党を離党するのにともない離党する。第33回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、落選する。民社党に入党し、第34回衆議院議員総選挙にて34歳で初当選する。

<b>民社党</b>
第38回衆議院議員総選挙では落選したものの、続く第39回衆議院議員総選挙、第40回衆議院議員総選挙では当選を果たした。第40回選挙後、衆議院の商工委員会にて委員長に就任した。翌1994年、羽田内閣にて法務大臣に任命された。法務大臣として麻薬の使用を理由にキリンカップサッカーアルゼンチン代表であったディエゴ・マラドーナの入国を拒否、その結果アルゼンチン代表チームは出場をキャンセルした。同年12月、民社党が解党し新進党が結成されることになり、新進党の結党に参加した。

<b>新進党</b>
新進党結党後の第41回衆議院議員総選挙では、三重県第1区より立候補し当選した。この選挙以降、自由民主党の川崎二郎と三重県第1区の議席を争っている。1997年、新進党が解散した。中井は小沢一郎らとともに自由党を結党した。

<b>自由党</b>
衆議院の国会等の移転に関する特別委員会にて委員長に就任した。しかし、第42回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選し、比例区で救済され当選した。自由党では副代表も務めたが、同党が民主党に合流（民由合併）することになり、中井も民主党に入党した。

<b>民主党</b>
民主党では副代表に就任した。2006年には常任幹事会の議長に就任し、2007年には再任された。その間の第43回衆議院議員選挙、第44回衆議院議員選挙では、いずれも小選挙区で落選したが、比例区で救済され当選した。第45回衆議院議員選挙では小選挙区にて当選した。この選挙により民主党が与党となり、鳩山由紀夫内閣にて国家公安委員会委員長に就任した[1]。同時に「北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[1]を担当することになった（拉致問題担当）。なお、中井は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の会長代行を務めていた。しかし、拉致問題担当相に就任以来2010年1月6日現在まで、一度も所管の拉致問題対策本部事務局に顔を出していないことが判明している[2]。2010年2月に行われる東アジアサッカー選手権に出場予定だった北朝鮮女子代表チームへのビザ発給に一時反対、北朝鮮チームは参加辞退を表明した。2010年に民団の会合で外国人参政権を推進していく立場を明らかにした。一方で、2010年4月に実施予定の「高校無償化」をめぐり、朝鮮学校を対象から除外するよう川端達夫文部科学相に要請した。


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			<title>裁判において</title>
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日本国内では国政地方ともに外国人参政権は一切認められていない。これまで外国人参政権付与を求める訴訟がいくつか行われているが、全てが退けられている。


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			<title>外国人参政権の対象となる選挙</title>
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日本における外国人の参政権には(1)議員選挙など公職選挙法が適用されるものと、(2)地方自治体における一部住民投票条例のような国籍条項がないものがある。ここでは(1)について述べる。現行法上、(1)について公職選挙法第二十一条は、選挙人名簿に登録されるのは「当該市町村の区域内に住所を有する年齢満二十年以上の日本国民」としており、認められていない。

<b>外国人参政権法案において対象とされる可能性がある選挙</b>
日本における外国人参政権において対象とされうる選挙は、最高裁判決「傍論」で想定された選挙、民主党・公明党・日本共産党の各法案が想定している選挙によって異なるものの、主に公職選挙法における地方参政権である。

<b>平成7年2月28日最高裁判決の「傍論」における選挙</b>
対象となる外国人について、外国人参政権論議の発端となった平成7年2月28日最高裁判決の「傍論」においては、「法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権」としており、具体的には「地方議会（都道府県・市町村）議員選挙」と「首長（都道府県知事・市町村長）選挙」を想定していた。

<b>各政党の法案が想定している選挙</b>
各政党(民主党・公明党・日本共産党)は、最高裁判決の「傍論」を根拠の１つとして、外国人に対する地方参政権を付与する法案を提出している。ただ、その対象となる選挙・権利は、最高裁判決「傍論」が想定していた範囲(地方選挙権)を拡大している。
以下、現存する政党のみを議席数順に挙げる。

民主党(過去15回法案提出)
第143回国会以降、第157回国会まで、地方選挙権のほかに各種請求権・就任資格など多数の権利を含む法案を提出している。
(民主党賛成派議連2008年5月20日提言では、地方選挙権のみを付与する。直接請求権・公務就任権は今後必要に応じて検討としている[1])

公明党(過去29回法案提出)
第143回国会以降、第162回国会まで、地方選挙権のほかに各種請求権・就任資格など多数の権利を含む法案を提出していた。
第163回国会以降は地方選挙権のみを付与する法案を提出している。

日本共産党(過去11回法案提出)
第144回国会以降、第159回国会まで、地方選挙権のほかに地方被選挙権、各種請求権・就任資格など多数の権利を含む法案を提出している。


各政党の付与を予定する権利は、日本共産党案が「地方被選挙権」を予定する点で最も多く、民主党案がこれに続き、公明党現行案が最高裁判決「傍論」が想定した案に近い。

<b>国籍条項がない選挙(現在も外国人が選挙権を持つ選挙)</b>
日本における外国人の参政権には(1)議員選挙など公職選挙法が適用されるものと、(2)地方自治体における一部住民投票条例のような国籍条項がないものがある。ここでは(2)について述べる。
2002年の滋賀県米原町を始めとして山梨県上九一色村などで2005年10月末までに常設型のものも含め約200の自治体が外国人の住民投票権を認める条例を制定した[10]。
地方自治体が外国人にも住民投票権を条例で認める例がある[10]。
自治体の選挙管理委員会が管理する選挙であっても、公職選挙法が適用されない選挙[1]には国籍条項は無い。
農業委員会･海区漁業調整委員会の選挙は公職選挙法が一部準用されるが、同法9条･10条1項は準用されない。有権者の申請により選挙管理委員会が選挙人名簿を作成するが、外国人にも選挙権[2]･被選挙権[3]はある。
土地改良区の総代選挙は、土地改良法[4]3条･11条に規定する組合員に(被)選挙権があるが国籍条項は無い。土地改良区が選挙人名簿を作成(土地改良法施行令7条)し、選挙管理委員会の管理下に実施される(土地改良法23条)。
地方自治法に定める住民監査請求･住民訴訟にも国籍条項は無い。


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			<title>日本における外国人参政権</title>
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本項では日本における外国人参政権（にほんにおけるがいこくじんさんせいけん）について解説する。
外国人参政権とは、その国の国籍を有しない外国人に付与される参政権を指す。2010年現在、日本においては日本国籍を有しない外国人には、法律上参政権は与えられていない。


外国人参政権の「対象」について概説する。
<b>日本国民の参政権</b>
日本国憲法第15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定めている。このことから、日本国民には憲法上選挙権が保障されている。
外国からの帰化人の参政権(選挙権)
日本国籍取得者(帰化人)は、日本人と同様の参政権(選挙権・被選挙権)を持つ。既に日本に帰化している日本国籍取得者は国政選挙権・地方選挙権をともにもっており、参政権は全面的に認められている。よって「日本国籍取得者」と「帰化していない在日外国人」とは区別して考える必要がある。
一例として、スポーツの国際大会に日本代表として出場したサッカーの呂比須ワグナー(FIFAワールドカップ出場)や野球の新井貴浩(北京五輪出場)は、日本国籍取得者であるので日本人として当然に選挙権が保障されている。(他の著名人は日本国籍取得者を参照)
外国からの帰化人の参政権(被選挙権)
日本の国会議員には、日本国籍取得者(帰化人)が4人存在している。これは日本国籍取得者が、選挙権だけでなく被選挙権についても日本人と同等の権利を持つからである。
新井将敬(朝鮮から1966年に帰化。故人)、ツルネン・マルテイ(フィンランドから1979年に帰化。民主党参議院議員)、白眞勲(韓国から2003年に帰化。民主党参議院議員)、蓮舫(台湾から1985に帰化。民主党参議院議員)である。
帰化人以外の定住者の参政権
外国人も日本政府に帰化を申請し許可されれば日本国籍を持つ日本人と同様の扱いを受け、参政権を得ることができる。外国人の中には、長らく日本に定住している者であっても個々の事情から帰化をあえて選ばず外国籍で居続けている者がいる。彼らは日本国籍を持たないため、当然に参政権を得られていない。そこで彼らの一部が、外国籍を維持しつつ参政権(主に地方選挙権)を得られるように、要望している。

<b>外国人参政権の対象となる外国人</b>
日本における外国人参政権において対象とされている人々は、最高裁判決の「傍論」で想定された者、民主党・公明党・日本共産党の各法案が想定している者によって異なる。
共通する条件は、(1)日本の国籍を有しない者(入管法第2条) で、(2)日本に定住している者である。
平成7年2月28日最高裁判決の「傍論」における対象者
対象となる外国人について、外国人参政権論議の発端となった平成7年2月28日最高裁判決の「傍論」においては、「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるもの」としており、後の園部裁判官の発言を鑑みると、最高裁は特別永住者(平和条約国籍離脱者およびその子孫)を想定していた。これに従うと対象となる永住外国人の国籍は、平成20年末時点で「韓国人」「朝鮮人」が41万6309人（99%）、「台湾人」が2892人（0.7%）、「その他」は1104人（0.3%）となり、ほとんどが「韓国人」「朝鮮人」であることとなる。
各政党の法案が想定している対象者
各政党(民主党・公明党・日本共産党)は、最高裁判決の「傍論」を根拠の１つとして、外国人に対する地方参政権を付与する法案を提出している。ただ、その対象者は、最高裁判決「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。
民主党賛成派議連2008年5月20日提言では、一般永住者にまで参政権を付与する理由として「(特別永住者も一般永住者も)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」ことを挙げている。


<b>在日外国人の在留資格と実数について</b>
「永住者」(一般・特別の合計)の資格を持つ永住外国人は約91万人である。一般永住者の数は49万2056人で、年々増加している。特別永住者の数は42万305人で、年々減少している。
在日外国人の在留資格のうち、長期の在留期間を認められるものは、以下の3種がある。
一般永住者とは、外国人のうち法務大臣が永住を許可した者をいう。(在留期間制限なし)
特別永住者とは、韓国籍・朝鮮籍・台湾国籍・その他の平和条約国籍離脱者とその子孫である。(在留期間制限なし)
定住者とは、法務大臣が在留を特別に許可した日系人とその家族である。（在留期間が1年か3年）


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